虚構の力(2019年11月の観劇記録)
11月は、九州で名の知れた劇団の芝居を2つ見た。1つは北九州の劇団「飛ぶ劇場」の「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」、もう1つは宮崎の劇団「こふく劇場」の「キャベツくん」である。前者は、マンション隣の空き地に児童養護施設が建設されることになり、マンションの住人たちが賛否をめぐって煩悶する話。後者は、長新太の絵本「キャベツくん」を演劇化したもの。話の趣向は大きく違うが、両者には相通ずるものがあったというのが感想だ。それは、虚構によって現代社会に迫ろうとしていた、ということだ。
「ハラポリ」の最終局面、民主主義とは何かを問う台詞が強い口調で発せられる。そして、役者たちの視線が客席に投げかけられる。現代日本の状況を憂う想いを(話の筋をいつの間にか超越する形で)示して、観客に何かを突きつけようとしていたように思う。一方、「キャベツくん」は原作のナンセンスユーモアの世界を生かしつつ、役者の巧みな身のこなしや生演奏を効果的に用いて、生きるとは何か、共生とは何かということをいつの間にか考えさせるような作りになっていたような気がする。そして素晴らしいのは、決して作り手の主張を一方的に押しつけるのではなく、観る人がそれぞれ自由に思考をめぐらせるような、そんな時間・空間が保証されていたことだ。
演劇は虚構だ。上に記した2本もまさに虚構である。だが、虚構がなぜか現実を撃つ瞬間がある、そう思っている。6月にケラリーノ・サンドロヴィッチの「キネマと恋人」を観た時もそのように感じた。これが虚構の不思議だ。
……高校の授業で小説を扱っていて、テキストから人間の摂理のようなものが溢れ出てくるように感じることがたまに、ある。その豊かなものを若い人たちと分け合うことができるならば、それは素敵なことだ。