34歳のプチ転職(2012年4月)

職場のすぐ横にある名勝、大濠公園

 

現任校8年目の秋である。9月、10月は新聞部門の「繁忙期」で、若い人たちと正面からぶつかりながら、作品づくりを進めている。今日も台風一過、部室には嵐が吹き荒れている。

新聞づくりのヒントはないかと、古いデータを漁っていたら、8年前、ここに赴任した年の校誌に寄せた文章が出てきた。公立から私立への転職を口にした私に親族一同が反対、味方してくれたのは、ずっと自分の理解者でいてくれたともだち1人だけ、という逆風の中の再出発だった。以下、その文章を載せる。うまくいかなくて苦しいときは、原点を思い出すのも悪くはないだろう。

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「プチ」転職に私を駆り立てたもの、思い返すに、それは三・一一だったように思います。あの災害の後、自分の仕事は本当に世のためになっているのかが分からなくなり、悩みながら授業をしていました。

本校の自由闊達な校風は噂に聞いていました。採用試験を受ける前、文化祭を「偵察」して皆さんのエネルギーやバイタリティーに触れ、この子たちは社会の中核を担っていく若者たちだと感じました。ここで、教えてみたい、そう思いました。

四月に着任して新聞部顧問を拝命、間もなく部員たちが「東北に取材に行きたい」と言い出しました。実際に見聞してそれを記事にすることが自分たちの復興支援だというのです。私は頭を抱えました。計画をどう具体化するのか。お金はどうするのか。そんな私を救ったのは「つながり」でした。同窓会の被災地支援プロジェクト「大濠Spirits」からは、生徒達の思いに対して物心両面の支援を賜りました。また、私は本校に来る直前に気仙沼を訪問したのですが、その時お世話になった仙台の旅行社の方が、細やかなサポートをしてくださいました。

二〇一二年八月、私たちは東北を訪問しました。目で見て、話を聞いて、本当の復興までにはかなり長い時間がかかるだろうことを改めて実感しました。……福岡に戻り、私は授業の内外で、少しずつ自分の見たこと、聞いたこと、思うことを話しています。(ありがたいことに、直接感想を返してくれる生徒もいます)。こんな風にして、社会とのつながりを何とか保とうと、三十代半ばで悪戦苦闘しています。

皆さんには、社会に対してどのように関わっていくのかを、今のうちから少しずつ考えてほしいと思います。そうすることで、卒業後に活躍する力が少しずつ蓄えられていくと思います。本校は生活環境が整っているから、何もしないで学生生活を送ることも可能でしょうが、力を秘めた皆さんがそんなでは、もったいない。

駄文をお読みいただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

  夕日に色づく大濠公園

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そして、こことお別れする時も近づいているように思う。私の心と体に堆積するよどみのようなものが、そのように求めているのを、確かに感じるのだ。宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の中で聞いた「賞味期限は10年」という言葉が、私の脳裏には常にある。全力が尽くせなくなりつつある今、時間はもう、あまり残されていない。

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