しなやかな言葉を紡ぐ(2019年8月6日)

 私の誕生日は毎年、広島市長の平和宣言を聞くことから始まる。排他主義が蔓延する世界を憂う彼の言葉は、凜としていた。決して感情的になることはない。しかし、聞く人々の心に届けようという静かな決意のもと、「しなやかな」言葉がそこに並べられていった、そんな宣言だった。

 きな臭いニュースが日々、流れてくる。他罰的な風潮。思想が違えば激しく攻撃し合う大人たち。そして、私の周りにいる若い人たちも、知らず知らずのうちに、この悪い風潮に巻き込まれ、ナイフのような言葉を時に発している。対面コミュニケーションでもそうだし、二次元でもそう。人を傷つけ、自らも傷つき、疲れ果ててしまう。

 しなやかな言葉を発したい、そう思う。不惑を超えても私は失敗してばかりで、しばしば感情的になり、人を傷つけてしまう。それをゼロにするのは無理だろう。ただ、失敗する回数を少しでも減らしたい。相手との関係性を大切にしながら言葉を紡いでいく、そういう人になりたい。もちろん、意見は一致しないことのほうが多いだろう。ただ、彼我の違いをしっかりと認識した上で対話する姿勢は必要で、それがうまくいった時の喜びは不思議なほど大きいものだ。

 (特に、言葉を扱う仕事に携わっている)若い人たちよ、ぜひ、しなやかな言葉を持ってほしい。そして、その言葉が世界を(ほんの少しかもしれないが)変えていく力を持っていることを実感してほしい。そう願っている。

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