ロスタイムには早すぎて

やっぱり旅に出ますと告げたとき、「あなたはここで何がしたかったのか」と返された。穏やかながらも問いつめる言葉に暫時の沈黙が流れ、しかし私は淀みなく、思うところを述べた。逆に同じ質問をぶつけたくもあったが、場にふさわしくないと考えて、自重した……骨を埋める覚悟で、すべてを捨てて流れ着いたのに、僕は、馬鹿だ。
自分の取り組みをすぐに人に知らせたがる私、先日は「教科における探究」の実践例をレポートにまとめて他の職員に届けた。それを見た方から「長い間探究活動に取り組まれてきたのですね」などと声をかけられたのだが、違う。ここに来てから新たに学び、試みたことがたくさんある。先達の話を聞くところから始め、その学び舎が提供すべきことを見定めた上で、何をすべきか/何ができるかと考え、形にしていくのが私のスタイルだ、手為事だ。それぞれの場所で差し出してきたものは、それぞれ違う。夢を、儚い夢を見続けずには生きていられない自分に呆れてもいるし、ほっとしてもいる。変わらぬ、私だ。

同床異夢だとしても、留まって、「同じき理想の光」を共有するべく他に働きかけるべき年齢なのだろうが、またもや、我が身に働いた力学に身を任せることを選択した。茨の道であるのは明白、愚かだと言うならば言え。学び続けるために……人生のロスタイムにはまだ、早いのだ。
本当は。
30代中盤以降、数々の大きな為事も与えてもらってきたから、もう十分かなと思う瞬間もある。が、「周りが傷つくのでダメだ」と公にも私にもたしなめられ、その想念を振り払い続けている……あなたがいつも調子を崩していた3月に、タナトスを君の分まで引き受けて、重い身体を引きずりながら、喘息症状の寛解した肺で深呼吸をする。きっと、明日も。

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