宮沢トシのこと(『自省録』/うまれてくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで)
うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる
宮沢賢治『永訣の朝』を授業で扱うのは何回目だろうか。文学、だから、「わたくし」=作者ではないのは百も承知だが、この詩に向き合う時はどうしても賢治と妹、トシのことを想起してしまう。
ところで、久しぶりに詩と対面して、今までとは違うことが気になり始めた。実際には宮沢トシはどのような人物だったのか。「わたくし」の「いもうと」に対する思いの強さは分かる。が、強すぎる思いは、時に独りよがりだ。「わたくし」が結んだ「いもうと」の像は、「いもうと」の、トシの本当の姿であったのか?
あれこれと調べているうちに、賢治の甥に当たる宮沢淳郎氏の書いた『伯父は賢治』(大成舎、1989)という本に行き当たった。この本の中に、淳郎氏が発見した『宮沢トシ自省録』が掲載されていた。ご案内の方もいるだろうが、以下、その内容をかいつまんで紹介する。
花巻高等女学校時代、トシは音楽の教員に好意を抱く。このことは周囲に漏れ「衆人の非難冷笑の眼」を浴び、「きのふまで友人とのみ信じてゐた人の思ひがけない裏切りに対する悲しみやおどろきや苦しみ」をトシは味わう。さらに、このゴシップは地元の新聞にも掲載されてしまう。トシは家族に悲しみを与えたことに自責の念を強くする。
当時を振り返るトシの筆致は、透徹の極みである(『自省録』の途中から、トシは自分のことを「彼女」と称する)。
・彼に対する彼女は只感傷的な、そして人生のdark sideに関する知識の全く欠けたdreamerであり殉情者であったと思はれる。
・彼女は恐れや疚しさが頭をもたげる事があってもすぐそれを否定する事が出来るほど、わが画いた幻影を実在と思ひ込み、空想の酒に酔ひしれて白日に夢みやうとしたのである。
・彼等の破綻は早晩来るべき運命であったと思はれる。強いて理性の眼を蔽うて彼等は(主に彼女は)めいめいの自分の都合のよい様に、彼等の感情を解しあったと見るのが正当ではあるまいか。
こんな具合だ。そして、「なぜ自分はこの事を誰にも秘密にしなければならなかったか?」と問い、「彼等の求めたものは畢竟彼等の幸福のみで、それがもし他の人人の幸福と両立しない場合には、当然利己的に排他的になる性質のものではなかったか?」と述べて、そして、省察の末に以下のように綴るのだ。
彼女が凡ての人人に平等な無私の愛を持ちたい、と云ふ願ひは、たとへ、まだみすぼらしい、芽ばえたばかりのおぼつかないものであるとは云へ、偽りとは思はれない。「願はくはこの功徳を以て普ねく一切に及ぼし我らと衆生と皆倶に 」と云ふ境地に偽りのない渇仰を捧げる事は彼女に許されない事とは思へないのである。
自分を愛すること。自分の「真実の願ひ」を見誤らないこと。「世の中は、彼女には追放されたエデンの園の夢と過ぎ去って現実は嶮しい住みにくい世界となった」が、「でも私は生きよう、こんな事で自分を死なしてはならぬ。」と自らを鼓舞する。実際、トシは教壇に立ち、家事との両立を目指す……
……『自省録』を通読した上で『永訣の朝』に目を戻す。すると、「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」は、新たな色を発し始める。この一節はかねてから利他の精神の発露として読まれるが、トシの苦しみ、そして、それを乗り越えて生きようとした彼女に想いをはせる時、放たれる強い光は、いかばかりの強さを宿すであろうか。
(永訣の朝 朗読)
そう、僕も、自ら命を賭してきた領域で「みんなの幸」に資するべく、歩いていくのだ。哀しみは抱えたままでも。