夏休みの日記(2022年8月ver.)

8月1日~3日。大学で「学生」になった。他の研修参加者たちはおしなべて若く、「異邦人」をほしいままにした3日間だったが、忘れつつある自分の原点を思い出すいい機会だったし、教科研修のコマでは一度お会いしたいと考えていた方から直接指導を仰ぐ幸甚を得た。その方は入試改革にも造詣の深い有名な方なのだが、授業や入試に関して色々と言葉を交わす中で、暗中模索で私が研究してきたことは決して的はずれでは無かったと確認できた。

せっかく関東まで赴くのだからと、前後に自主研修を入れる。初日は朝早く飛んで、研修が始まるまでの時間、「村上春樹ライブラリー」で。3日目の研修終了後は急いで日本近代文学館へ向かい、「夏目漱石『こころ』とその時代」に触れて秋以降の授業に備えることを試みた。「いびつな円」を描いて東京を散歩した記憶が黄泉がえってきた。

8月某日。有名な社会風刺コント集団の舞台を観た。が、期待していた切れ味の鋭さは無かった。むしろ、各方面への配慮からくる苦心が滲み出てさえいるようで、風通しの悪い日本の惨状に思いを馳せてしまった……冷たい夏の月の下、残された時間で私に何ができるのかと、暗然としたまま夜を歩いた。その翌日、英国の劇作家の作品を視た。海外の作品に触れる機会がこれまで少なかったので、色々と考えることがあった。

8月某日。誕生日、四捨五入したら50! 自分へのプレゼントにと、いつもの如くの無鉄砲に出る。熊本の劇作家、大迫旭洋さん(不思議少年)の「はじめての戯曲講座」にオンラインで参加。もちろん、他の参加者は演劇関係者。紅顔の少年の手ほどきを受けながら、素人の中年が戯曲のさわりに挑戦。実際に書いてみて、初めて分かることが多々あった。劇の言葉としての拙さはもちろんだが、何より、他者や社会に対する関心を自分が十分に持ちえていない、ということを痛感したのだ。私の中から出てきた台詞やト書きは、明らかに自分の関心や過去に囚われていて、しかも、糸が絡みついたままだった。そんなのは私的な落書きに過ぎない。この4年程、自分を正視しないままやり過ごしてきたつけが、こんなところに現れる…その翌日、「演劇大学in筑後」にオンラインで参加。学びは止めない、夢は(実現可能性が低くても)諦めない。

8月某日。映画『教育と愛国』を観る。私が教壇に立ち始めたのは2000年、自分の歩みと、映画でクローズアップされる出来事とを照らし合わせながら、暗闇の中、己の怠惰を猛省していた。もう、ここまできてしまったのだ、というのが視聴後の感想。レミングのごとく、私も崖から落ちてゆくしかないのか?現場の一教員ができることとは? …重い宿題をもらった。(帰りに立ち寄った湯田温泉、かつて宿泊したことのある中原中也ゆかりの宿は廃業していた、悲しい)

8月某日から3日間程、三人目の子ども(小学生)が「貯金箱」を作るというので付き合った。元々工作なんてできない私だが、とにかく本人のイメージを聞き出し、できるだけそれに沿うような提案をし、それじゃ嫌だとダメ出しされ……何とか形になって良かった。懺悔をすると、私は自分のキャリアアップなどにうつつを抜かし、特に三人目の育児はサボってきた。だから、他の二人の子どもに比べて、明らかに関係が希薄なのだ。「貯金箱」は、私にとってこそありがたい時間となった。過去の罪は消えはしないが……「罪ある者が芝居を見て、場面の真実に胸打たれ、心を深くゆすぶられ、直ちに悪事を白状したという。」 (『ハムレット』)

8月某日。マームとジプシー『cocoon』を観る。「ひめゆり学徒隊」を描いた今日マチ子の漫画を元に作られた演劇。前半の(単調なまでの)何気ないやりとりは、物語の進行に伴って繰り返し顔を出しつつ意味の重さを増していく。中盤からはパンチを浴び続けている感覚。先んじてテレビで目にした「メディアの自主規制」「戦果の操作」という言葉も私の頭をめぐった。「窓」のなくなる前に、私にできることを、探さねば。

8月15日。cocoonに触発されて、まわしよみ新聞×演劇作り「8月15日を劇にする」へ。主催者は毎年終戦の日にこの企画を行っている。数社の「8月15日」の新聞から自分の好きなものを読み、印象に残った記事を切り抜いて他の参加者に紹介する。各自の発表が終わった後、記事を元に皆で簡単な劇を作るという企画。この日も私は、自分の世界の狭さに打ちひしがれる。自分のideaは己から離陸できないものだとはいえ、私のものの見方が(過去にからめ取られたままで)いかに狭いか、そして、人と交わることでいかに世界が広がるか(日頃どれだけそれを怠っているか)を教えてもらった5時間だった。ちなみに、過年度の成果物も壁に貼ってあったのだが、中には「下世話な広告」の切り抜きもあり、突然現れる多様な参加者の中でファシリテートしていくことの難しさを垣間見た気がした。分断が進むこのご時世、戦争に関する各新聞社の論調もそれなりに異なっている。そんな8月15日の記事を素材として考える場を設け続ける、という勇気・熱意には敬意しかない。

切り抜いた記事を張り合わせた模造紙

よく言えば充実の(悪く言えば遊び呆けた)夏休みを過ごし、自分に課された宿題に取り掛かるのが遅れた。今回の宿題は、先達が一旦作り上げた作品を必要に応じて修正するというもの。これはある意味、自分で一から書くよりも難しい。先達の意図や狙いを推し量って、それを捻じ曲げないように細心の注意を払いながらの為事だ。その上で、自分に付け加えられるものがあるなと感じた時、そして、時代の趨勢から付け加える必要を感じた時には、大胆に加筆した。

                              

……そして、9月が始まる。

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