人間―この劇的ならざるもの
のどかならぬ4月。物事は、思い通りにはなかなか運ばない……この1週間ほどは、心の中ではこっそりと「最悪」も覚悟しながら事を進めてはいたのだが、いざ現実が突きつけられると、春の水辺で心荒ぶるばかりだった。
3月28日、「緊急事態」を収めるべく、佐賀県の国語部会の事務局長を引き受けた。佐賀に活動の場を移してたった1年の私に人脈はなく、務まるとは思えないが、とにかく動いて、しのいで、バトンを次に渡したい……毎日、新しい事態に出くわしている。まるでロールプレイングゲーム、ドラゴンクエストに熱狂した学生時代が、懐かしい。
どんなにバタバタしていても、私の本業は国語の授業だ。雑事にまとわりつかれても、予習の時間をできる限り捻出しては1コマ1コマに臨んでいる……予想だにしなかった新学年にぽっと入ってまだ3週間だが、多くの若い人たちが応答してくれる、求めてくれる。こんなに嬉しいことはない。私の「最善」を差し出したい。
世相からか、近頃は大好きな演劇を見ても、舞台上で描かれる劇的世界が、混迷を深める世相とは乖離しているように思え、リアルなものとして迫ってこない。きっと、私が絶望しかけているのが原因なのだろうが。ただ、若い人たちに向き合う以上は、私なりに世界と正対し、自分の感じたことを身体性を伴ったコトバで若い人たちに伝え、「あなた達はどう思いますか、どういう世界を作りたいですか」と問いかけ続けたい(3月、意図せず若い人たちと世界情勢について学ぶ機会を得た。学びの楽しさを再確認する至福の時間だった)……派手ではなくとも、人間に根ざした「小品」を日々編んで届けること、それが、老境にさしかかりつつある私に今、できることではないのか。
それが、劇ではないのか。