支えること/支えられること
予期せぬことで、若い人たちとしばらく会えない事態に陥り、狼狽している。誰もいなくなった教室に一人たたずんでいた。
若い人たちは普段から、抱えている思いをストレートにぶつけてくる。それは本当にありがたく、教師冥利に尽きることだ。私はその時々の全力でそれに応えようとする。ただ、年齢を重ねたせいか、あるいは心身の不調のためか、思い描くようなパフォーマンスができない局面が増えている。「鏡」になること、それができていない。自分の不甲斐無さに「もう潮時では」という言葉が何度も脳裏に浮かぶ。
支える側でなければいけない筈の私だが、逆に私の方が支えられている、と思うこともある。そして今日みたいに、若い人たちのいない教室に一人立つ時の空虚感たるや…私は寂しさで動けなくなる。
私は人に支えてもらって生きてきた。でも、当たり前だが、その恩恵に与るためにこの仕事を続けるなんて、あってはならないことだ。課せられた務めが果たせない者は去るのみ。それに、人にすがりすぎたり、特定のひとにすがってしまう悪癖はいい加減直さないといけない。そのことでひとを追い詰めたという十字架を、私は背負い続けなければいけない。
50年後、(此岸にいるか彼岸にいるか分からぬが)私はどんな関係性の中に己を布置しているのだろうか。それが見えなくて苦しんでいる。とまれ、さえない日々が続く。