「私自身は、やりたいことはありません。」問われて、こう答える。相手は困惑の色を浮かべる。

熱気あふれる人々に囲まれて2ヶ月。しかし私はといえば、淡々と日々を過ごしている。嫌気が差しているとか、鬱々とした状態が再発しているとか、そんなことはないような気がするのだが、「淡々」、それ以外に形容のしようがない日々だ。

……「さみしいでしょう?」とも尋ねられた。「いえ、元々、私はともだちが居りませんので」と笑って応じる……このさみしさは、ずっとずっと昔から付き合ってきた相棒だ。さみしささえ、否定的には捉えなくなりつつある。孤独でも、つらくても、marginal manであり続けよう。そう心が定まったのかもしれない。捨てるべきは捨てて、ここに流れ着いたのだ。

夢や理想を持って突き進まんとする人たち。形でたとえるなら、凸型だ。あまたの「凸」の狭間で、私は「凹」を貫く。凸を受け止める、鏡としての、凹。

「私自身は、やりたいことはありません。ただ、人のやりたいことを支援する、そんな役回りを果たせればと思っています。」

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