羅生門の季節
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしょうと思うたのじゃ。」……老婆の声色を模して朗読をするのは果たして何度目だろうか。高1を担当する年はほとんど、この教材を取り上げる。今年は特に若いメンバーと学年チームを組んでいることもあって、やはり「定番」は扱っておくべきだろうと思い至った。
「定番」であり続ける理由とは何だろうか?今回改めて『羅生門』を声に出して読んだとき、私の頭に浮かんだのは、ヨーロッパの「シェンゲン協定」だった。長崎大学多文化社会学部の過去問でこのテーマに触れたからだろうか。現代が抱える課題にも迫ってくるようなテキスト。別な言い方をすれば、時代が進むにつれて読みが変化していく可能性を有するテキスト。『羅生門』もそのような作品なのだろうと、漠然と考えている。……宇多田ヒカルは「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ みんなの願いは同時には叶わない」と歌った。(あれ、恋愛の悲哀は普遍的か?)
高校の新学習指導要領が公表されている。科目の名称も大きく変わる大改編であり、どうカリキュラムを組めばよいのか、どんな教材が教科書に掲載されるのか、現場はまだ見通しを立てられていないというのが正直なところだ。ただ、『羅生門』は古典を基にした小説であるという点からして、新課程でも生き残るのではないかと個人的には予想している。芥川とか、太宰とかがますます重宝されるのではないか、そんなことをこっそり期待している。
昔使っていた教科書の『羅生門』の頁を開けたら、かつての教え子の字と思われる「下人の心理変化」についてのプリントが出てきて懐かしかった。今回の授業はどう展開していくのか。その行方は、誰も知らない。