大学入学共通テストを意識して(漢文、複数テキストを用いた授業例)

冬季補習の問題演習で、江戸時代の儒学者、佐藤一斎の『言志四録』を扱った。問題集に掲載されていた本文(191章)は次の通り。

枚乗(=人名)曰はく、「人の聞く無からんことを欲せば、言ふ勿きに若くは莫く、人の知る無からんことを欲せば、為す勿きに若くは莫し。」と。薛文清(=人名)以て名言と為す。余は則ち以て未だし(=不十分だ)と為すなり。凡そ事は当に其の心の何如なるかを問ふべし。心苟くも物有らば、己言はずと雖も、人将に之を聞かんとす。人聞かずと雖も、鬼神将に之を闞(み)んとす。

 

「心苟くも物有らば」、他人は私に聞こうとするし、鬼神は伺い知ろうとする。だとしたら、心に何も思わないのが良い、と言っているのか?儒学者が、心を空にせよ、何も為すな、というだろうか?……納得できないので原典を当たり、前後を確認した。直後の192章にはこのようにあった。

心は猶ほ火のごとく、物に著(つ)きて体を為す。善に著かざれば則ち不善に著く。

つまり、心が善と結びつき、善行という形体で現れることは良しとしているのだ。逆に不善だと、それが世に広くばれてしまう、そういう事態を避けるよう、佐藤一斎は戒めているのだ。これならば、儒家的だと納得できる。サブテキストが本テキストの読みを深める(本テキストの良く分からない部分をサブテキストで補う)一例となると思う。

授業では、まず191章に関する問題集の問いを眺めてもらった後、192章を配布して生徒と共に考えた。このように、授業で適宜「複数テキスト」を用いた深い読みをめざす時間を取っておけば、いざ大学入学共通テストに向き合う時にも、幾許かのアドバンテージがあるのではないか。そう考えて、老骨にムチ打ち、今日も図書館へと向かうのである。

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