輝く月に手を伸ばし(「門外漢」、演劇大学に参加)

しばしば観劇に赴く私、しかしそこで味わう、もやもやした感情。それは、「門外漢」たる私を疎外する、壁のようなものの所為か。いやいや、私の不勉強から、その世界の全貌に迫れないだけなのだ、そうだ、自分のせいだ…そう考え、一念発起して、オンラインで行われた「演劇大学inしまね2020」に、ほんの少しだけ参加した。自分の為事との関連で言うと、新学習指導要領が高校でもまもなく適用され、国語も科目の編成が変わる。それに伴って、授業で戯曲を扱うシーンも出てくるのではないかと予想している。今のうちから準備だ、そう奮い立たせて、震えながらZoomに入室。

のぞいたのは、三島由紀夫の戯曲「葵上」を読み解く講座。劇団青年座の宮田慶子先生が講師を務めてくださった。印象に残ったことを以下に箇条書きにしておく。

・虚心坦懐に読むこと。気になるキーワードはマーキングしながら読むこと。

・良くわからなかったことは労を惜しまずに調べること。

・戯曲は、言葉の先に肉体がある。声に出して読んでみることで立ち現れる世界がある。

・三島由紀夫が残した言葉「戯曲は空中の楼閣。本当の虚構の果てに生まれる真実」(『小説家の休暇』、読まねば!)

戯曲の読み解き方について学んだことがなかったので、大変勉強になった。例えば、宮田氏は、ある科白の読点の多さに着目して、登場人物の感情に迫ろうとされていた。見事な切り口だ……日頃私は、授業で若い人たちとともに文学的文章を読み解いているわけだが、その際に用いる手法の中には、戯曲の読み解きにも相通ずるものもあるのだと知って、少しだけ安堵した自分もそこにいた。

講座の中で、実行委員とおぼしき方がリーディングを行う時間が設けられた。その後で、宮田氏と実行委員の方とで場面の解釈について意見を述べ合っていたことが心に残った。文学の読み解きはそうであるべきだ。独りよがりではなく、互いに意見を出し合うことで初めて、世界の真実に触れることができるのだ。言葉を通して、身体を用いて、より遠くをめざす、その喜びを再確認した2時間となった。

 

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