565文字のエッセイ(私自身の場ミテとして)

「565字」というのは、勤務校の広報紙のエッセイ欄を執筆する時に求められる字数だ。565±5字ぐらいで書かなければいけない(そうしないと、空白列ができるorオーバーする)のだが、8年(23回)も担当していると、計算せずとも自然とその範囲内に入ってくるようになるから恐ろしい。そろそろ交代したいなあというのが本音だが……2学期の始まりにあたって、自分の立ち位置を確認したい、私自身を奮い立たせたいがために、24回目の565字をしたためてみた。

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観客のほとんどいないスタンドで、幸運にもスクイズのシーンをカメラに収めた。しかし、すぐに複雑な気持ちが襲う。取材は私一人だけ。感染防止のため、新聞部員を取材に連れ出せない日々が続いているのだ▼校内でも窮屈な日々が続いている。授業では協働的な学びができない。学校行事も大幅な制約がかかる二〇二〇年。コロナ禍中で、若い人たちに安らぎを保証できないでいる。歯がゆい▼先日、指揮者の佐渡裕さんの声をラジオで聞いた。東日本大震災の後、彼は新聞紙上で自分のことを「無力だ」と嘆いていた。しかし彼は動く。被災地の若い音楽家を育成するなど、精力的に活動を続けてきた。今回のコロナ禍中でも『すみれの花咲く頃 プロジェクト』を立ち上げる。一般の人々が自宅で演奏した動画を合成して、一つの音楽に仕立てて配信する。演奏を聴いて、不覚にも泣いた。自分の命を賭する仕事で、世界に働きかける。私はそれを企図し続けて来ただろうか▼急に、吉野弘の詩が頭をよぎった。「夕陽を見つめながら ふと、地球の幸福というものを思った 太陽ほど 変わらぬ関心を 地球に持ち続けるものが他にあるだろうかと。そして、また思った 人でも花でも 誰かに関心を持たれていると知ったとき どれだけ生き生きするものかということも。」小さくも太陽でありたい、その思いをまだ、捨てきれないでいる。

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