学校再開後の日々のこと(教室は劇場/「賞味期限」を待たずに)
10年来の「戦友」とも呼ぶべき同僚が、休校期間中に職場を去った。数少ない、心から尊敬できる人だった。唐突な別れ、床に散らばった感情をかき集めることもできないまま、学校再開。とにかく、動き回ることで日々をやり過ごしている。
部活動(新聞部)のこと。3月末、若い人たちは「リモート・ワーク」を駆使して新入生歓迎号を間に合わせた。新担任紹介も載せていたから、新入生には休校期間中の送付物に合わせて郵送した。自分たちの「為事」をしっかり果たした部員たちには敬意を表したい。しかし、ここで3年生は引退。見送る場を十分に設けられなかったことが心苦しい。さらに、引き継ぎの時間がなかったために、代替わりしてのリスタートには相当な困難を伴うことが予想された。そこで、大学でも新聞づくりを続けてきた関西のOBに依頼し、現役の2年生に対してZoomを用いた技術研修会を開いてもらった。助かった。その直後に新入生勧誘。何人か入部届を出してくれた。歴史は、つながった。
対面授業。フェイスシールドを付けた私は、いつもどおり、教室を劇場に変えていく。そして、生徒の反応の微細な違いに注意を払って理解度を推測し、臨機応変に授業展開を変えていく。(「新しい生活様式」が求められているので)若い人たちは発言しにくい状況だが、チャイムが鳴ってからも寄ってきて意見を寄せてくれる人たちがたくさんいて、教室を出るのがいつも遅くなる。ありがたい。
ただ、正直に告白すると、虚勢を張っているだけで、致命的なほどに気力が戻っていない。若い人たちとの生活が再開して3週間も経つのに、である。もし、漲らない状態が続くならば、いよいよ考えなければならない。映画「風立ちぬ」の中で語られた「賞味期限は10年」という台詞が再び重くのしかかる。勤務校で9年目、内外で自分の能力を遥かに超えるような為事にいくつも携わらせていただいたが、もう、燃料があまり残っていない。彼が去ったのは間違いなく、最後の一撃となった。「心あらん友もがな(徒然草)」、どんよりした空の下で、私は虚ろな気持ちに支配されている。