nからの手紙(大学受験の記「たまには雑談でも」)
勤務校では、夏休み前に進路情報誌を作成し、若い人たちに渡している。この中で、「合格体験記」のコーナーがあるのだが、ある生徒があふれる思いのあまり制限字数を大幅に超える原稿を寄せてきた。紙幅の都合でどうしても載せられないという結論になったので、本人の了承を得た上でここに記す。届けるべき人に届くならば幸いである。
3月8日AM10:03、本当はもっと眠っていたかった。実際前日は夜更かしをしていたからもっと眠れるはずであったし、何しろ、まだ夢の中にいたかった。けれど、心音が五月蝿すぎて、半ば八つ当たり気味に学校のHPに飛び、番号の記載されたPDFのダウンロードを開始する。ピークだった。
―――「……ない」。空を仰ぎ、踵を返す。背後には、歓喜の声で満たされた、私の知らない空間が広がっていた―――
1年次:「他と自分は違う」。入学当初はそんな妄想を抱いていたが、初の校外模試の結果を受けて勉強法を見直した。思い返せば中学の頃から暗記や雰囲気で乗り切ってきたことに、この時初めて向き合ったと思う。以後、私は論理を重視しながら勉強し始めた。結果が出始めたのは冬頃で、その間4、5ヵ月は苦しかったが、持続して勉強する習慣や逃げない心を身につけた。
2年次:この学年で私はSNSとさよならした。これは大きかったと確信している。やりながら不毛な時間であるとつくづく感じているのに何故かまた開いていた時期が存在し、流石に危機感を覚えて思い切って消した。心が軽くなった。
「先生、俺K大に行きます」。3年の10月だった。知らない街を、人を選んだ。模試の結果は芳しくなかったけれど行きたい気持ちは揺れない。「1時間だけ塾に行くのもな~」なんて考えは払拭して少しでも多くの時間を確保し、冬休みからセンター直前までは、毎日5教科をこなし感覚を鈍らせないように努めた。当日は「いつもと変わらぬ日」を念頭に置き、本番と意識しないように過ごした。試験時間外はずっと好きな音楽に浸っていた。自己採の結果、K大に出願し、二次対策に取り掛かる。過去問は10年分程やったが、必ず添削してもらった。完璧な解答なんて最後まで一つも無かった。
「俺で行くんだ」。Kの地に降り立つ前から私はそう決めていた。未知の場所や人々に呑まれぬように、要らぬ気を回さぬように、私は俺のことだけを考えた。それ以外のものは何であろうが、皆いないも同然であると。
2月25日PM14:50、霞がかった街を見下ろす。というか、俯いていた。数をこなし理解もできたと思っていたが、英数は振るわずに終わった。危なくなる前に、好きな音楽を聴き始める。メロディーに刻まれた思い出に包まれて、懐かしくて、でも袖はまだ濡らせない。挽回の二文字を胸に、教室へ戻った。
「……、えっ」。半開きの眼で何度も携帯を睨みつける。試験直後の感触は五分五分だった。何度確認したって実感なぞは湧かず、何だかふわふわした気分でいた。人生初の合格はこんな味だった。とりあえず、報告のために学校へ赴く。職員室に入るや否や、力強くて、温かい、そんな握手を幾つも貰った。人の感情に触れた。もう、先生も私も笑みを隠しきれていなかった。下がることのない口角に、合格を確信し、私はO高校に別れを告げる。「Adios」なんて洒落込む私の背後には、運命の場が聳え立ちけり。
―――逃げるように会場を離れた私は、学校や塾の先生の元へ報告に向かった。月並みな言葉に嫌気がさしていた私に、ある先生が言う。「そこに行くのは何か理由があるからで、運命的なものなんだよ」と。「そんなもんかなあ」と半信半疑に思いながらも、3年前の春、私はO高校を運命とした。 ―――