「代受苦」の旅(2023年3月19~21日、東北へ)

だいじゅく【代受苦】…仏教用語。他者の苦を代わって受けること。

即身仏と対面した、湯殿山大日坊(山形県鶴岡市)

「江戸時代初期以降、飢饉や病に苦しむ人々がたくさんいました。そのような人々の苦しみや悩みを代行して救うために修行に挑み、自らの体を捧げて仏となられた方を即身仏といいます。即身仏になろうと決めたら途中で投げ出すことは許されず、修行に耐え抜いた者のみが即身仏になることができました。」(「やまがた庄内観光サイト」(https://mokkedano.net/)より)

現存している即身仏の中には、例えば若き日に過ちを犯した逸話を持つ仏もあるという。静謐な佇まいから発せられる強烈なオーラに、私は身を任せていた。そして、尋ねてみた。「私にまだ、できることは、ありますか。」

岩手県二戸市天台寺 寂聴さんの墓

「仏教には「代受苦(だいじゅく)」という言葉があります。人が受ける苦しみを他人が代わりに受けて苦しむという意味です。この「代受苦」は、誰もができることではなく、選ばれた人だけができるたいへん尊いことです。だから、大切な人を亡くしたことを虚しいとは決して思わないでください。」(NHKこころフォト~忘れない~(https://www.nhk.or.jp/kokorophoto/yosete/001.html))

東日本大震災後、寂聴さんは東北の各地を訪れて、「青空説法」を行った。学生時代に一度だけ京都寂庵でお姿を拝見したことがあるが、飾らない尊さに圧倒されたのをありありと覚えている。墓石には「愛した 書いた 祈った」と記されていた。……高台にずらりと並ぶ墓石たちに記された文言は個性的でバラエティに富んでおり、(不謹慎なのだが)私は誰知れず微笑んだのだった。

「未来都市銀河地球鉄道」(岩手県花巻市)

どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)

井戸に落ちた蠍の、祈りである。

不穏な世界、一向に好転の兆しがない2023年、弥生。私は己の卑小さに既に殆ど絶望しているのだが、それでも、諦めてきってはいないからこそ、自ら環境を変えようとしたのだと信じたい。これまで享受してきたあまたの施し、残りの生では返さねばならない。3年7ヶ月ぶりに白河の関を越えようと思い立った理由は、自分でよく分かっている。「代受苦」そして「利他」の心を身に纏い、明日、私はまた新しい旅に出る。

 

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