過去から届く手紙
不意に、遠くから連絡をもらうことがある。海岸に打ち上げられた小瓶を開け、厳封されていた手紙を開くような気持ちで文字を追う。封じていた心の蓋が開き、こみ上げてくる怒涛に翻弄される。それは、過去から届く通知表のようなものだ。私は、目の前の人たちと真摯に向き合ってきたのか、それが、書かれている。
…大学でもひたむきに学んで、新たな場所に赴くとの報。高校生だったころ、国語が得意ではなかったあなたと共に悪戦苦闘の日々を送っていたことが、ありありと蘇る。過分なる言葉が並ぶメールに、恐縮する。わざわざ、ありがとうございます。新天地でのご活躍をお祈りします。これからもどうぞ宜しく。
…私の何気ない仕草、さりげない一言をいつまでも覚えていて、それが印象に残っているとの手紙(教師という仕事は怖いものだ。一定の影響を人に与えてしまうという自覚は忘れずに振る舞わなければいけない)。覚えていますよ、私がそのように反応したこと。ばれているかと思いますが、当方、極度の照れ屋なのです。ご家族に宜しくお伝えください。
…一言、「まあがんばりなよ」と声援を届けてくれたひと。素っ気なさがかえって、在りし日のあなたを彷彿とさせます。もはや私には何もできないけれども、あなたが「ほんとうの幸い」を手に入れることを、心から願っています。
人と関わることは、人を傷つけることでもある。お互いに人間だから、相性だってある。私があなたの力になれるとは限らない。過去の業に身を焦がしながら、それでも、何かを差し出したいという思いが時々、本当に時々、しかし確かに届くことがあるのだ。
過去に灼かれ続ける私の体内には業火が燃えていて、しかしその焔は燃料ともなり、ほとんど絶望しながらも、まだ、あなたに、世界に手を伸ばす。そんなに足掻かなくても良いのにという囁きを振り払い、これが性分なのだと宣言し、また、余計なことを始めるのだ。燃え尽きて無くなるまでは。