GWは心の旅に出る

前任校では、GWは博多どんたくの取材に部活動(新聞部)で赴いたり、責任重大なテストを作ったりと、心身ともにせわしない時間を過ごしていたのだが、今は部活動顧問も拝命しておらず、作らなくてはいけないものも実は4月中に形にしていたので、専ら「充電」に充てる毎日となった(もちろん、合間合間で即物的な仕事もしたが)。

作る、と言えば、新しい国語を研究し続けている知人から久方ぶりに連絡をもらった。閑居を続ける私を覚えていてくれて嬉しい。自宅の本棚や大きな本屋を渉猟し、問い合わせに対するいくつかの私案に、少しばかり逸脱する内容を添えて回答した。すると、彼らしい丁寧な応答があり、そうだ、今までもずっと私が教えてもらう側だったな、と思い出した。これまで成してきたつながりは、完全には失われていない。孤立したお山の大将では、死神はすぐにやって来てしまう。ちなみに、私は今年度、旧課程の学年を担当しているが、件の「観点別評価」を学ぶために、4月下旬以降、人と会ったりいくばくかの本をめくったりしている。

読書三昧。お気に入りの喫茶店を渡り歩くノマド民となり、ブラック片手にページをめくる。ジャンルはバラバラ、国語研究から現代思想の入門書、某大学の歴史書のようなものまで手を伸ばした。井上荒野『あちらにいる鬼』を半分まで読み進めたところでタイムアップ(学生時代に一度だけお姿を拝見した瀬戸内寂聴氏は先日、旅立ってしまった)。書物や演劇や映画……良いものに触れた後に教室での授業に臨むと、それまでと違う自分が語っているような錯覚に陥ることがある。齢を重ねても、若い人たちの前に立つ以上は、アップデートは怠ってはいけない。シン・なんとかである。

体重。四十余年の人生で60キロを超えたのは、鼻の手術で入院した高2の時だけだったのだが、過日体重計に乗ると、針は63キロを示したomg……前任校の目の前には大きな公園もあり、実は学校近くで全身運動を日々、行っていたのだが、今や片道59キロのドライブの毎日、道すがらあれやこれやを口に運ぶ、そのバツは速やかに現れた。運動しよう、生きるために……連休中のある日、海を見下ろす崖に立ってはみたのだが、かつて私を苦しめた衝動は襲ってこなかった。汚れっちまったままでも、いつか赦される日が来ると信じて、生活を続けるしかないのだ。

 

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