秋の彼岸に(毛虫と蜘蛛と)

9月、月が煌々と輝く頃になると、心の調子が下向くのがここ数年の通例になっている。例えば、テレビから流れてくる些細なフレーズがトリガーとなって過去が溢れ出し、途端に動けなくなったりする。あの9月だから仕方がないと思えるようになっただけ、底は脱しているのかもしれないが。

職場を変えて半年、ここまで先達の邪魔をせぬよう「様子見」をしていたというのが正直なところなのだが、予想外の要請もあって、ギアを入れざるを得なくなった。日々に追われてはいるのだが、次から次にそれなりのアイディアが浮かんでくる自分に驚いてもいる。これまで21年半、周囲の人々に大きな迷惑をかけながらも国語と向き合ってきたその蓄積が、今になってモノをいっている、そう実感している。若い時の苦労に乾杯!

昔を思い出す小さな出来事があった。人の親になった日のこと、私は産院の外の石段に座り、報告の電話を親戚にかけていた。すると、おしりの下に激痛が。毛虫だった。慌てて払い除けたが、痛みは消えない。私は突きつけられたような気がしたのを今でも覚えている。「お前はまだ未熟だ、それを忘れるな」と。毛虫が言葉を話すはずもないのに。

18年後の9月、朝のルーティンで教室に入り整備をしていると、左足に痛みが。見ると、大きな蜘蛛だった。不思議な符合だと私は思った。そう、18年経っても私は未熟で、自分勝手なままだ。治らないものだなと嘲りの笑みを浮かべつつ、そうか、今日は長女の誕生日だったと、そこでやっと思い出したのだった。

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