ヤモリとぜんそく
59キロのよろめくドライブの末、今日もなんとか自宅にたどり着き、至近のコンビニに夕飯を求めに行く。腹が膨れそうなものを適当につかみ、レジへ向かおうとすると、立ち読みをしていた人の右足に……ちょこんと、ヤモリが載っていた。「すみません、あの……」と話しかけると、その人は足を2、3度振って、ヤモリを床に振り落とすと、足早に店の外に出ていった。床に、ヤモリ。
私はレジに並ぶ。すると、別の客がヤモリを見つけて言った。「かわいそうだな。家に返そう」。そして無造作にかがんですばやく両手で捕まえて、そして、そのまま近くの川の方に向かって駆け出した。自然な動き、その一言に尽きる。
しばらくして店に戻ってきた聖人に「ありがとうございました」と伝える。真の優しさを持つその人に敬意を込めて。私は、そこまでの徳を、残念ながら持ち合わせていない。
NO値が再び異常を示している。ぜんそくの治療のために打っていた自己注射、経過が良かったので一旦止めるという試行期間を設けてみたのだが、2ヶ月ぶりの検査では数値が如実に悪化。咳が頻繁に出るというところまではないが、数値の上昇は気管支が炎症を起こしていることの証左。美しい空気と風景に包まれた生活を始めてみても、そんなにうまくは事は運ばない。ダメな体だ。次の通院は予定より早く、6週間後となった。
最近は「いつ死んでもいいや」と思えている。決して自暴自棄なのではない。毎日海岸沿いを走行しながら、とりとめのない思いに身を委ねているのだが、ふと「20年以上凡人なりに努力して、自分にできることを続けてきたんだな」という実感が湧く、そんな瞬間がある……例えば、国語の為事をしていて「こうしたらいいのでは」というアイディアがふと浮かぶことが老いさらばえた今も、ある。そういう僥倖が発生するのは、幾許かの経験と蓄積があればこそだ。そういうことも、自己否定的な傾向が強かった私の、ささやかな自信につながっているのだろう。
こうやって、私は坂をそろそろと降りていく。咳をせずとも、一人。