『酔う』(1995年、高校時代にしたためた小品)
あなたがもし弱ってるんだったら
私は強くありたい。
私が弱ったときは
あなたには強くいてほしい。
喧騒な夜の繁華街。人が安らぎを求めてやってくる場所。その中を僕は脇目も振らず歩いている。ママのいる居酒屋を目指して。
『定休日』という札のかかった扉の向こうに、ママとポリネシアは待っていた。
「いらっしゃい。待ってたわよ」
「イラッシャイ。マッテタワヨ」
ポリネシアというのは、ママの飼っているオウムのことである。コップにお酒を注ぐママ。
「はい、どうぞ」
「ハイ、ドウゾ」
ママはいつも違う種類のお酒を出してくれる。だが、僕は少しもその名前が分からない。酒とは僕にとって、酔うための手段にしか過ぎないのであり、名前なんて何だって構わないのだ。ママはその辺りのことをよく分かってくれている。
「今日さ、英語の先生と喧嘩したんだ。『先生の教育はなってないです』って言っちゃったんだけど、そしたら、『君は頭がおかしいんじゃないか』って言われちまいましたよ。ハハハ」
「イワレチマイマシタヨハハハ」
「へえ、あなた度胸あるのね。先生に文句言うなんて」
「イウナンテ」
「そんなんじゃないすよ。俺が融通効かない奴なだけなんですよ。先生なんてほっときゃいいのに」
「ホットキャイイノニ」
ママは僕と一緒に飲んでくれる。狭い居酒屋で、他愛もないことを酔いつぶれるまで話し続ける。日常とは切り離された、二人(とオウム一匹)だけの空間。夜は更けていく。
その日、僕は疲れていた。ママと会う時間が待ち遠しかった。話して、酔って、早く楽になりたい。そういう気分だった。
『定休日』の扉の向こうで、ママは、・・・既に飲んでいた。一人で。明かりもつけずに。
「いらっしゃい。待ってたわよ」
暗くてよく見えないが、泣いている。僕はママの横に座った。
「どうしたのさ」
「・・・ポリネシアが・・・死んじゃったの・・・」
僕は言葉が出なかった。
「・・・私がカゴを開けっ放しにしてたの・・・そしたらポリネシア、カゴから出て、床を散歩してたのよ・・・お客さんが気付かずに踏んづけて・・・」
ママは声を上げて泣き出した。
何か言ってあげなければならない。しかし、僕は言葉を見つけられない。いつも慰めてもらっている。だけど今は、僕がママの悲しみを和らげてあげねばならない番なのだ。でも、なんと言ってあげればよいんだ。ああ。僕は目の前のお酒を飲んだ。ママも飲んだ。酔い潰れれば、苦しみは薄らぐかもしれない。ママのすがるような思いであり、僕の望みであった。
二人は飲んだ。一言も喋らずに。
どのくらい時間が経っただろうか。ママが長い沈黙を破った。
「そのお客さんね、真夜中だったんだけど、ポリネシアを病院まで連れていってくれてね、そして、病院の先生たたき起こしてくれたの・・・その人何度もポリネシアに『ごめんよ』って、泣きながら謝るの。それでポリネシアは『ゴメンヨ、ゴメンヨ』って言いながら死んじゃったの。おかしいでしょ」
僕は仕方なく微笑んだ。それが僕にできることだった。・・・ママは泣きやんでいた。
「来てくれてありがと。次の定休日に待ってるから」
ママは笑った。僕はさよならを言って外へ出た。少々飲みすぎたかもしれない。
僕はよろめきつつ、繁華街を歩いていった。人々はこの町にいかなる空間を求めて彷徨っているのだろうか。もう夜明けが近い。
(文藝春秋『文の甲子園』応募作品)