2020年 観劇の記録(逆進する時計の針)
2月、キビるフェス2020で劇団きらら『70点ダイアリーズ』。続いて、北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ関連企画で短編『まるまる糸、どけどけ虫』を観劇。3月、感染症の足音迫る中、MONO『その鉄塔に男たちはいるという+』。20年以上前に初演の作品だが、混迷極まる現代を鋭く衝いていた。終演後、涙ぐみながら挨拶した土田英生さんの表情が忘れられない。その後コロナをめぐる状況は悪化。劇場に入れない生活を送ることとなった。(実は春先にもう一本観るつもりだったのだが、劇団側が「高齢者や基礎疾患のある人は観劇お断り」という驚きの告知をしたので、喘息持ちの私は断念した次第である。)
9月、第2波が落ち着いたところで半年ぶりの観劇。確かな力量の役者陣が乱射する言葉たち。ただ、上演できることの喜びが溢れすぎていたからだろうか、咀嚼の暇もなかった気がする。劇中、「換気」と称して、舞台から客席の方に向けて巨大な扇風機が風を送った。繰り返す、台詞が飛び交っていた舞台から、客席の方に向けて、である。正直、恐怖を覚えた。表現という行為は、どこか禁欲的な、制御されたものであってほしい。その点、9月下旬に枝光アイアンシアターで観た『蝶々!』はよく制御されていて、作品世界にどっぷりと没入することができた。素敵な物語を手渡され、赦されたという感覚さえ抱いた。
10月、ケムリ研究室『ベイジルタウンの女神』。重い空気に支配されてきた2020年に人々がどのようなものを欲しているか、それをケラリーノ・サンドロヴィッチは分かっているのだと思った。物語性に満ちた、非常に演劇的な作品だった。……妙に印象に残っているのが、劇中にちょこっとだけ出てきた「針が逆に進む懐中時計」だ。その設定がとても演劇的で、なぜか懐かしい感じがしたのを覚えている。
10月はもう一本、ネットで配信されたある劇団の芝居を観た。配信に挑戦したこと自体には喝采を送りたいが、生と同等の経験を提供するのはやはり至難だ、というのが正直な感想だ(立派な機材とかを揃えるとすると膨大な費用がかかるだろう)。また、混迷極まる世相に呑み込まれて、解決策を導き出せないまま客に差し出したなという印象は拭えなかった。「分断」がさらに進んでしまった2020年に、自分のレイヤーだけが救われるという物語しか提示できないのなら、「社会派」を標榜することはできないのではないか。
12月、飛ぶ劇場の『ガギグゲゲ妖怪倍々禁』。時代を撃つ演劇、その一言に尽きる。Twitterに書いた門外漢の感想を演出家が見て、「ステージナタリー」に引用してくださった。こっ恥ずかしく、恐縮している。
その後、福岡に「コロナ警報」なるものが発動されて、予定していた2本の観劇は自粛することにした。春の門前払いはよほど強烈だったのだろう、足が竦むのだ。(特に非売れは観たかった、2年前の『関門オペラ』が十分に呑み込めないままになっていたので)。とまれ、安心して劇場に入っていける日が早く来ることを、心から待ち望んでいる。
(12月27日加筆)年末年始の遠征の予定が飛んだので、教え子がお世話になっているガラパゴス・ダイナモス『ほとんどの夜になまえはない』を細君と観た。群像劇だが、あれだけ多くの登場人物のそれぞれの生を、見事に描けていたと思う(特に経過時間60分前後のテンポの良さはすばらしかった)。かつてガラパの別の演目を観たときは、熱さのあまりについていけなかったのだが、今回は入り込めた。「動」だけではなく「静」が適宜織り込まれた劇だったことが、いい方向に作用したのではないかと邪推する。欲を言えば、(私が福岡よりも随分と寂れた地の出身だからそう思うのだろうが)ラストに登場した建物群は、観客が想像する「町」の幅を狭めてしまったと思う。それぞれの心に、それぞれの町を思い浮かべられる、その余白は残してほしかった。