「青春」にさよならを(2009年、餞のことば)

とある事情からSNS絶ちをして2週間になる。つながりを絶つ行為は苦しい。私の心は案の定、下降線をたどる一方だ。過去を振り返る旅がまた、始まっている。

以下は、2009年、3年間担当した生徒たちに対して、卒業式前日に話したものである。当時31歳、読み返すと恥ずかしい限りだが、10年以上経った今でも、変わらない何かを抱えながら生きているのだなと再確認した次第である。そして、今この文章を掘り出した理由も、自分ではなんとなく分かっている。


やばいです。一昨日あたりから、淋しくて泣いています。
私が学年全体の前で話すのは、恐らくこれが最後でしょう。最後まで、私の仕事をやろうと思います。自分の生き方をさらし、「そんな人もいるんだ、ふーん」と考えてもらうのが、私の仕事だと思っています。
私自身の話をします。
ご存じの通り、私は人付き合いが極度に苦手です。そんな私が、人と繋がろうと思い始めたのは、4年前、育児休業を取ったのがきっかけだと思います。朝から晩まで娘と二人きりで他に話す人はなし。疲れて帰ってくる妻はただ私の作った飯をかきこみ、ありがとうも言わずに寝るだけ。淋しかったです。学校で働いているときなら、例えば私が暗い顔をしていると、さりげなく声をかけてくれる先輩の先生や生徒達がいたのに、家にいてはそれもない。逆説的なことですが、休んで初めて、人とのつながりのありがたさに気づいたのでした。
仕事に復帰して、転勤し、君たちと同時に小郡高校に来ました。バスケット部でした。やったことがありません。筑後地区も初めてだからつながりも全くありません。でも生徒は練習試合をくんでくれとせがみます。私は名刺を配りまくりました。「私は素人です。練習試合をしていただくしか小郡を強くする方法がありません。どうかよろしくお願いします。」・・・今では、相手から練習試合のお誘いをうけることも多くなりました。練習の足しになればと、途中から審判にもチャレンジしました。見ている人は見ています。専門の先生方からも「もっと、こうするといいよ」と審判のアドバイスまでしていただけるようになりました。もちろん、私自身が体育会系ではないから、バスケット業界に身を置くのがきついと感じることもあります。それでも、つながりを保っていれば、助けてもらうこと、教えてもらうことも多々あります。
23期生のみなさん。もっともっと、人とのつながりを大切にしてください。しんどいよ、自分の殻を出て行くのは。でも、そうすることで自分の世界は格段に広がります。活躍の場がひろがります。そして、人とつながるために必要なこと。それは、ささやかな気配りを忘れないことです。こちらが相手を思いやらないと、相手も心を開いてくれません。悪気はなくとも、意図せずして人に不快な思いをさせることはよくあるものです。ましてや、悪意を持って人を傷つけるなんて論外です!常に相手を思い遣りましょう。アンテナをはりましょう。そうすることで、あなた自身の世界が広がり、より豊かな人生が送れるはずです。自己中な私がこんなことを言うのですから、たぶん間違いはないと思います。たぶん。
最後まで、苦言を呈してすみませんでした。では、さようなら。

小郡高校23期生担任 常法 建

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