冬の「居場所」探訪(鹿児島県吹上町/熊本県高森町)

廃線になった「永吉駅」跡

 年末年始に帰省し、墓のある鹿児島県日置市吹上町まで赴いた。ここは所謂「限界集落」が点在する過疎地域である。かつて私の祖父母が住んでいて、海水浴に行ったり、きのこを採ったりと、幼少期の懐かしい思い出が眠る地なのだが、今や人とすれ違うことも稀である。近い将来消滅するのだろうと私の中で勝手に決めつけていたのだが、墓参りついでに町を探索してみると、古民家を活かしたカフェやオープンスペースといった施設がいくつもあり、そこに生きる人々の息吹を感じた。40年以上もその町に通っていて、私は何も見ていなかったのだなと今更ながらに反省した。

 中でも、廃校をリニューアルしてギャラリーとした「野月舎(やがつしゃ)」で、そこにもう10年以上もいるという芸術家(その方は自分のことを「情熱家」と称しているそうだ)と話すことができた。その芸術家は、元々その町の出身ではない。しかし、他のアーティストと協力して企画・展示を行ったり、町の人々や文化財などを取材して冊子にまとめたりと、精力的な活動を続けてきたそうだ。浜に打ち上げられる「ゴミ」を拾って、それを利用した服やアクセサリーを作ったりという独創的な活動にも取り組んでいらっしゃった。直接的にはおっしゃらなかったが、地元の人々との交流を丁寧に重ねながら、この町に対する想いをどんどんと積み重ねている、そのことが体全体からにじみ出てくるような、そんな不思議な方だった。

野首小学校をリニューアルして運営している「野月舎」
丹念な取材を元に作成された、吹上町の魅力を集めた冊子

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 年明けの仕事が再開してしばらく経って、部活動の取材で南阿蘇に赴いた。南阿蘇は、2016年の夏に取材に訪れて以来、「原風景」とも言うべき穏やかな空間に魅せられてか、しばしば足を運んでいる。今回は、トロッコ列車の終着駅となっている高森駅(利用客は震災前よりもかなり減っているという)のすぐ側にある、まちづくりに関する様々な事業を行っている「TAKAraMORI」を訪れた。そこでありがたい出会いがまた、あった。

 応対してくれた女性は、話してみると聞き慣れたイントネーション。実は、私と同郷だった。高森に魅せられて居を移すことを決意したという。「自然ふれあいコーディネーター」の肩書きを持つ彼女は虫に詳しく、「オオルリシジミ」という美しい蝶の話をしてくれた。九州では高森にしかいない蝶だという。野焼きが行われることで初めて、絶妙な生態系のバランスが生まれ、その蝶の生息が可能になるのだそうだ。生き生きと話す彼女の様子が印象的だった。外に生徒を待たせていた私は、急ぎオオルリシジミにまつわる絵本を買い求め、「私も近い将来、居場所作りに携わりたいと思っています。これから色々と教えていただくこともあるかと思いますが、宜しく」と挨拶し、帰途に就いたのだった。福岡に帰り着くまで、これまでの、そして、これからの自分のことをずっと、考えていた。

オオルリシジミの絵本

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