年の瀬 東京散歩(2019年12月)
勤務校のバスケットボール部は全国屈指の強豪で、年末は東京で行われるウインターカップに取材に行くのが私の年納め恒例の為事(趣味?)となっている。その前後で、せっかく旅に来ているのだからと、自分のインプットになるような行動を心掛けている。過去には、太宰治ゆかりの地を回ったり(別記事参照)、夏目漱石「こころ」の舞台となった地を訪れたりした。今回も、貴重な経験をすることができたので以下に記したい。
まず、千葉市美術館で行われていた、現代アートチーム「目[mé]」の「非常にはっきりとわからない」を鑑賞した。ネタバレ禁止なので詳細は書けないが、芸術とは何かという概念を揺さぶられる、そんな時間・空間だった(デュシャンの「泉」も頭をよぎった)。美術館を後にしてから、思考がぐるぐるぐるぐる回るような、そんな感覚を味わった。
「居場所」研究にと思って、町田まで赴き、コワーキングスペースで行われていた「哲学カフェ」に参加した。断続的に開かれているこの会は、常連さんから私のような初参加の人までおり、年齢もさまざまな人が集まっていた。皆でテーマを決め(この日は、優劣とは/違いとは/差別とは)、それについて互いを否定はしないようにしながら思考を深めていく。私は聞き役に徹したのだが、考えの違いをぶつけ合って、相互作用を施し合って、そしてそれぞれの日常に帰っていく、そんな場であるように受け取った。ある方が話の中で「サードプレース」という言葉を使ったのだが、緩いつながりを体現している運営者に敬意を持たずにはいられなかった。
谷中のギャラリー「トタン」で開催されていた「トナカイ」さん(TwitterID:@tonakaii)の詩展「すべてのあなたの記憶」を覗いた。東京の下町ならではの細い路地を進み、「open」とだけ書かれた玄関を開けると、写真のような独特な空間が広がっていた。御本人がいらっしゃったので、あなたの詩に多分に救われていますと、直接伝えることができた。
福岡に帰る日、飛行機まで少し時間があったので、品川の映画館に寄って、「男はつらいよ50 おかえり寅さん」を観た。2年前の12月、ともだちと葛飾柴又を散策したことがあったので、より引き込まれてしまったのだと思うが、とにかく、笑って笑って、そして大泣きした。寅さんは、この生きづらい世の中で、私たちの道しるべとなる普遍的な「記憶」なのだなあと思った。
東京の澄んだ冬空のもと、3日間で20キロは歩いただろうか。過去と未来とを往還する、そんな時間が私の中で激しく、流れていた。