「自分のため」か「人のため」か(2016年4月16日、熊本へ)
夜中、大きな揺れで目を覚ます。勤務校は休校になり、状況を追っていたところ、卒業したばかりの熊本に住む教え子が、twitterでSOSを出しているのに気づいた。彼の母がサービス付き高齢者住宅で働いていて、入居者の水と食糧が不足しているので届けてほしいというのである。彼の必死な訴えを見ているうちに、行かねばという気持ちに支配され、娘を連れて一路南へ向かったのだ。
本当は、災害発生時にはフェーズがあって、私のような素人の個人が災害当日に現地に向かうのはご法度だ。だから褒められた行為ではなかったとは思っている。ただ、その日の私は何かに取り憑かれていた。店を回って水を集め、途中のサービスエリアで頼み込んでおむすびを握ってもらい、二つ手前のインターチェンジで降り、緊急地震速報に車を止めて身をこわばらせ、……やっとの思いで目的地に到着したのは、夕闇が迫る頃だったと記憶している。彼は必死に働いていた。物資を降ろし、邪魔になってはならぬとそそくさと退散した。心からの感謝の言葉をかけていただいたことは忘れられない。……その後しばらく経ってから、新聞部員を連れてそのサ高住を再訪し、地震発生時のことを入居者に聞いた(その際、一部の生徒は熊本市内でボランティアにも参加した)。さらに夏には部員たちと阿蘇に赴いて取材を敢行した。その後も毎年、何らかの形で熊本取材は続いている。
果たして、この突飛な行動は自己満足ではないのか?(安易に真似しないでくださいね)。滅私奉公のできないダメな私の行動は、いつだって何%かは「自分のため」であることをここに懺悔する。ただ、彼の叫びに応えたいという思いから動いたというのは嘘ではない。それまで災害に遭った土地を回ってきて、自分にも何かできたらという思いが募っていたような気もする。「自分のため」と「人のため」とが出会う地点を見つけられたら、それはとても嬉しいことだ。