ピアノを弾くこと

2018年12月 予餞会にて

町のピアノ教室に通っていたのは小4から中3までだから、そんなに長くはない。ただ、教員になってから何回か、思いを伝える術として、若い人たちの前でピアノを弾いたことがある。

初任校。初めて担任を持った生徒たちが卒業する直前、予餞会でコブクロの「桜」を弾いた。先輩教員に歌ってもらい、伴奏しながらハモるという、無茶ぶりに出た。

転勤して、バスケット部の顧問になった。運動畑の人間ではないから、技術指導はできない。近づく最後の公式戦。思案して、激励になればとピアノを弾いた。レミオロメンの「3月9日」は特に印象に残っている。(バスケットについては、またの機会にしたためたい。)

そして昨年冬。心の不調はピークを迎えていたが、3年間担当した生徒たちの門出に、どうしても抑えられなくて、弾いた。以下、そのことを記した随想である。

やめときゃ良かった。「予餞会でピアノを弾かせてください」と申し出たのが運の尽き。何十年も鍵盤から離れていたのに、急に指が動くはずもない。仕方なく、楽譜は一旦閉じて、ハノンからやり直した、秋の終わり▼師走は「僕らを急かすように」過ぎていく。本番まで一週間、何とか止まらずに通せるようになった。が今度は、間違うはずの無いような所でトチリ始めたのだ。何度やってもミスを犯す。なぜなんだ?頭を冷やそうと大濠公園に足を延ばす。池を眺めているうちに浮かんだ言葉は、「表現は抑制的でなければならない」▼かつて演劇部顧問をしていたこともあり、今でも時々観劇に行く。芝居を打つ人々は、何か伝えたいものを有しているから上演する。ただし、その思いを未整理のまま客に差し出すのは宜しくない、受け止めきれずに困惑させるだけだ、と個人的には考えている。思いが逆に災いするのだ。高校演劇に関わっていた時、私は部員たちに繰り返し、先の言葉で諭した。実は、私が日々授業を行う際にも、このことを心掛けている▼本番来たる。私は黒子に徹するのだと言い聞かせ、淡々と弾き続けた。先生方が情感豊かに森山直太朗を歌い上げてくださり、会場は暖かな空気に包まれた。コーダに入ったとき、抑えていたものがこみ上げてきて、必死に堪えたのは内緒である…陰ながら、輝ける君の未来を、願う。

みなさん、元気にしていますか?

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