複数テキストを用いた評価問題例(希望はどこに?)

 昨年度は高三担当、教科書で最後に扱う評論として、大澤真幸「リスク社会とその希望」を選んだ。が、授業展開を考えているうちに頭を抱えることになる。「希望」がどこにも書かれていないのだ。以下のような感じである。

 …リスク社会がもたらすもうひとつの効果は、「知」と「倫理的・政 治的決定」との間の断絶があからさまなものになってしまう、ということである。学問的な認識と実践的な決定との間には、決して埋められることのない乖離がある。前者から後者への移行には、原理的に基礎づけられない飛躍がある。だが、しかし、近代社会は、両者の間に自然な移行や基礎づけの関係が成り立っているとの幻想によって、支えられてきた。たとえば、特定の経済政策は、経済学的な認識によって正当化されると考えてきた。あるいは、生死についての倫理的な決断は、医学的・生理学的な知によって支持されうると信じてきた。だが、リスク社会は、知と倫理的・政治的決定との間にある溝を、隠蔽しえないものとして露呈させざるをえない。なぜか? 科学に関して、長い間、当然のごとく自明視されてきたある想定が、リスク社会では成り立たないからだ。科学的な命題は、「真理」そのものではない。「真理の候補」、つまり仮説である。それゆえ、当然、科学者の間には、見解の相違やばらつきがある。だが、われわれは、十分な時間をかければ、すなわち知見の蓄積と科学者の間の十分な討論を経れば、見解の相違の幅は少しずつ小さくなり、ひとつの結論へと収束していく傾向があると信じてきた。収束していった見解が、いわゆる「通説」である。科学者共同体の見解が、このように通説へと収束していくとき、われわれは、─その通説自体が未だ真理ではないにせよ─真理へと漸近しているのではないかとの確信をもつことができる。そして、このときには、有力な真理候補である通説と、政治的・倫理的な判断との間に、自然な含意や推論の関係があると信ずることができたのである。 というのも、リスクをめぐる科学的な見解は、「通説」へと収束していかない─いく傾向すら見せないからである。たとえば、地球がほんとうに温暖化するのか、どの程度の期間に何度くらい温暖化するのか、われわれは通説を知らない。あるいは、人間の生殖系列の遺伝子への操作が、大きな便益をもたらすのか、それとも「人間の終焉」にまで至る破局に連なるのか、いかなる科学的な予想も確定的ではない。リスクをめぐる科学的な知の蓄積は、見解の間の分散や懸隔を拡張していく傾向がある。このとき、人は、科学の展開が「真理」への接近を意味しているとの幻想を、もはや、もつことができない。さらに、当然のことながら、こうした状況で下される政治的あるいは倫理的な決断が、科学的な知による裏づけをもっているとの幻想ももつことができない。知から実践的な選択への移行は、あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。

これから社会に羽ばたかんとする若い人たちに、「人と人とがわかり合うとか絵空事だよ。社会に希望なんかないよ。じゃあ、高校卒業しても頑張ってね、さよなら」なんて言えるだろうか?窮した挙句にひねり出した評価問題を以下に記す。

問 次に示すのは、三人の生徒が本文を読んだ後に話している場面である。空欄ⅰ・ⅱに入る語句として最も適当なものを次の中からそれそれ選び、記号で答えよ。

生徒A  本文は、リスクを中心に論が展開されていたね。

生徒B  私は、出典元である『不可能性の時代』を手に取ってみたの。そうすると、表紙の裏に本全体の紹介としてこう記されていたの。「現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。」って。教科書採録の部分(本文)では、連帯について、( ⅰ )と主張しているようにとれるけど、本を全部読んだら筆者の主張をより深く理解できるんじゃないかと思ったのよ。

生徒A  で、どうだった?

生徒B  本の最後の最後にヒントのようなものが、ほんのちょっと載っていただけ。こんな感じ。

もし、すべての個人の間に直接的で深い関係がなければ、活動的な民主主義は不可能だということになれば、グローバルな社会の上に「希望」を構築することは絶望的である。しかし今、小規模で民主的な共同体が分立しつつ、他方で、それらのどの共同体にも、外へと繋がる、外の異なる共同体(のメンバー)と繋がる、関係のルートをいくつかもっているとしよう。そうすれば、共同体の全体を覆う、強力な権力などなくても、何億、何十億もの人間の集合を、個人が直接に実感できる程度の関係の隔たりの中に収めることができるのだ。この直接の関係の上にこそ、述べてきたような活動的な民主主義を築き上げることができるのだとすれば、市民参加型でありつつ、なお広域へと拡がり行く民主主義は十分に可能だ、ということになるのではあるまいか。

教科書に付いていたタイトルは「リスク社会とその希望」だけど、本の内容はやや観念的で、確かな「希望」があると実感できるまでには私は至らなかったわ。

生徒C  ええと、私も「希望」を見付けたいと思って、タイトルに「希望」が付く他の本を探してみたんだ。すると、玄田有史という人の『希望のつくり方』という本を見付けたよ。その中に、こんな一節があったんだ。

現在、地域や国という次元を超えて、社会全体で「多様性」の重要さが指摘されています。しかし「多様性」と「バラバラ」はつねに紙一重の関係にあります。みんながそれぞれに好き勝手にやりたいことだけをやって、全体がより良い方向に進むことを誰も考えない状態は、バラバラでしかありません。バラバラな状態を避け、一人ひとりを尊重すると同時に、社会全体が望ましい方向に変化していくために必要なのは何か。それは希望を個人だけにとどめずに、みんなで共有する取り組みです。それぞれが自分の持っている希望を追求しつつも、対話を通じてお互いの希望の実現のため、共通する部分をみつける。そして共通部分を尊重しあいながら、お互いができることを責任と誇りを持って行う。その瞬間、希望は個人の次元を超え、社会のものとなっていくのです。

生徒A  BさんとCさんが見つけた文章を合わせて考えると、現代における「希望」って、( ⅱ )ことで現れるのかもしれないね。

生徒B・C  まさにそのとおりだね

(空欄ⅰの選択肢)

ア 現代においては逆に連帯が失われている

イ 現代人は従来の連帯など必要としていない

ウ 現代においては強固な連帯が求められる

エ 現代人は連帯の糸口を探すのに必死である

オ 現代においてはさらに連帯が重要になる

(空欄ⅱの選択肢)

ア 自分とは異なる他者と十分に話し合って、お互いに歩み寄り共有できる部分を増やしていく

イ 自分とは異なる他者と頻繁に交流して、どのような社会を目指すかについて共通認識を持つ

ウ 自分とは異なる他者と直接的に関わって、誰もが共有できるような新しい理想を見つけ出す

エ 自分とは異なる他者とつながりを持ち、共通部分を見付けつつも互いの勤めを果たしていく

オ 自分とは異なる他者と連帯して共同体の規模を拡大し、地域や国を超えた強い絆を実現する

【実践に対して、いつも助言をくださるDさんに感謝申し上げます】

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複数テキストを用いた評価問題例(希望はどこに?)” に対して3件のコメントがあります。

  1. 沖本 より:

    こんにちは、失礼します。よろしければ答えを教えていただきたいです。よろしくお願いします。私は空欄iにイ、空欄iiにエを選択しました。

    1. joho9696 より:

      御質問をお寄せいただきありがとうございます。(i)はア、(ii)はエを正答と考えています。

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